『あまりもの』(短篇集『千年の祈り』所収)イーユン・リー
以前BS週刊ブックレビューで紹介されていた短篇小説集です。
今は短篇小説を読みたい(もしくはそれしか読めない)ので、角田光代が番組の中で紹介していたのを思い出して手に入れました。
ぜんぶで十編の短篇が含まれていますが、最初の作品からすばらしかったので忘れないうちに書いておこうと思いました。
著者のイーユン・リーは北京生まれの北京育ちだが、北京大学卒業後に渡米し、アイオワ大学で免疫学の研究者から作家へと方向転換した。デビュー短篇集である本書で、第一回フランク・オコナー国際短篇賞など数々の賞に輝き、今やアメリカでもっとも注目される新人作家の一人である。(「訳者あとがき」)
『あまりもの』は51歳で北京紅星縫製工場を首になった「林(リン)ばあさん」の話です。
76歳でアルツハイマーの老人の後妻となります。
老人の子供たちにとっては介護をしてもらえるし、林ばあさんにとっては食い扶持を得られるということで両方にメリットがあったのです。
しかし老人は事故で死んでしまい、財産も相続できませんでした。
そのあと林ばあさんは北京西部の郊外にある全寮制の私立学校の家政婦になります。
ある日康(カン)という6歳の男の子が入ってきます。
林ばあさんは、かれが父親の前妻の子で「あまりもん」だから家に置いておかずにこの学校に送り込まれた、という境遇を知り、同情するようになります。
いろいろ世話を焼いてやるうちに、林ばあさんは生まれて初めて恋に落ちるのです。
6歳の子供である康に対して。
夜眠るとき、夢で寝言を言いながら、康は毛布の上に大の字になる。そんな彼を毛布でくるんで、林ばあさんはいつまでも見つめている。そのうち、何かよく分からないぬくもりが胸の奥でふくらんでいく。これが世に言う、恋する、ということなのか。死ぬまでかたときもはなれたくない。そんな激しい思いに、ときどき自分がこわくなる。
寮で女の子の靴下がなくなる、という事件が起きます。
康には女の子の汚れた靴下を集めて枕の下に入れておく、という性癖があったのです。
それが発覚してしまう。
康の姿が寮から行方が分からなくなってしまいます。
大騒ぎになってしまうが、ピアノの下で眠っていた、と康が出てきます。
この事件のせいで林ばあさんは学校を首になってしまいます。
短篇の筋を書くことにはたぶん何の意味もないですね。
すみません。
どんな小説でも同じですが、小説自身を読むしか分からない魅力に満ちあふれています。
いくつかの切り口があると思いますが、五十を過ぎた女性が六歳の男の子に初めて恋をする、という、ある種突拍子もない話が、むしろリアルに切実に感じられることが挙げられます。
それは先のアルツハイマーの老人の介護をしていた描写も効いてくるのです。
そして、あり得ない設定が、かえって恋そのものの感情を明確に映し出すのです。
引きつけられたのは、靴下を盗んでいたことが発覚した康を林ばあさんが元気づけようとする描写です。
「康。ちょっとおばあちゃんの部屋へおいで」
「やだ。行きたくない」康は林ばあさんの手をはなす。
「どうしたい?散歩しようか」
「散歩したくない」
「本を読むのは?昨日新しい本が一箱届いたわ」
「読みたくない」
「じゃブランコに乗ろう」
「何もしたくない」康は肩から林ばあさんの手を押しのける。
彼女の目に涙がこみあげる。頭上から康を見おろす。誰かを愛するということは、たとえかなわぬときでもその人をよろこばせたいということなのだ。
誰かを愛する、ということをこんなふうに鮮やかに定義しているのを私は初めて読んだ、と思います。
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