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『西瓜糖の日々』

R・ブローディガン(河出文庫)

 

不思議な感じだけれど、懐かしい世界を描写した小説。
詩みたい。
読むとっかかりがないとうまくはいっていけなかったので、柴田元幸の解説を読んだら、ある程度合点がいった。

 もっというなら、これはほとんど死後の世界のように思える。「過度の感じの不在」ということを訳者の藤本さんもあとがきで指摘しているが、週に一度、「黒色の、無音の西瓜」の日があるなどという事実を抜きにしても、ここの描かれている世界は、あたかももうすべてがすでに死んでいるかのように、静かで、ひとまずは穏やかで、おっとりとひそやかだ。

村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の『世界の終り』の世界のしんとした雰囲気に近い。

ただ、違うのは、この世界には怒りや血やセックスが入り込んでいることで、逆にそういうものが入り込んでいることに違和感を感じはじめるくらいなのだ。
穏やかな空間(「アイデス」)と邪悪な空間(「忘れられた世界」)が空間的に対比されるけれど、穏やかな空間は邪悪な空間があるからこそ成り立つ、と言っているようにも思えた。

加藤典洋が『考える人』No.24の座談会でこんなことを言っていた。

 翻訳の文体が日本の文学を生み出すことだってある。誰かがもう言ってると思うけど、村上春樹と高橋源一郎を生み出したのは、ブローティガンの藤本和子訳だと思うんですよね。カード・ヴォネガットという存在もあるけれど、藤本和子の翻訳文体の驚きは相当大きかったと思う。

たとえばこんなところはほとんど『さようならギャングたち』であるように思えた。

 私が誰か、あなたは知りたいと思っていることだろう。私は決まった名前を持たない人間のひとりだ。あなたがわたしの名前をきめる。あなたの心に浮かぶこと、それがわたしの名前なのだ。
たとえば、ずっと昔に起こったことについて考えていたりする。――誰かがあなたに質問をしたのだけれど、あなたはなんと答えてよいかわからなかった。
それがわたしの名前だ。
そう、もしかしたら、そのときはひどい雨降りだったかもしれない。
それがわたしの名前だ。
あるいは、誰かがあなたになにかをしろといった。あなたはいわれたようにした。ところが、あなたのやりかたでは駄目だったといわれた――「ごめんな」――そして、あなたはやりなおした。
それがわたしの名前だ。

 

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