ジェーン・オースティン 工藤政司訳
主人公のエマのことがとにかく好きになれなかったのだが、倉橋由美子や丸谷才一やらがオースティンのことを誉めていたから、きっとどこかで私もエマのことが好きになるのだろう、と思いつつ読んだけれど、結局エマのことは嫌いなままだった。
エマのことが嫌いなのは、ひどくおせっかいで誰かと誰かがくっつくべきだとか、くっつかない方がいいとか、それも陰でぶつぶつ言っているだけならともかく、じぶんのことを慕っている女の子に影響力を及ぼしそのとおりにさせ、あとで、ああ誤りだった、みたいなことを言い出すところが代表的なところだ。
しかし、なんだかんだ結局最後まで読んでしまったのは、やはり小説としての面白さだったのかな、と思う。
そもそもオースティンじしんがエマのことを「私以外は誰も好きにならないような女」と評しているわけで、そんな女を主人公にしていることはまさしく確信犯。
エマのことが嫌いなのはきっとじぶんじしんにまったく同じような部分があるからで、ふだんはそれを無意識に抑圧しているのに小説の中であからさまにされているから、たまらなくなるのではないか。
じぶんのまわりを常にコントロールしていたいのに、そうは簡単にいかない。
エマはいらいらするが、私もふだんコントロールできないことに苛立ち、しかし苛立つことすら抑圧している。
だからエマにじぶんを投影しているようで、読んでいて腹が立つのだ。
ただ、主人公に深く入り込めないと小説を読むのは難渋します。
オースティン入門としては適当ではなかったのかもしれません。
あと気になったのは、どうして登場人物はみんな風邪引くことを異常に心配しているのか、ということ。
そんなに歩いたら風邪引くよとか、すきま風で風邪ひくんじゃないか、とか風邪の心配ばかりしていて、少し笑った。
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