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『悪魔の涎・追い求める男 他八篇』

コルタサル 木村榮一訳
コルタサルは『石蹴り遊び』を集英社文庫で持っているのだが、手つかずのまま十年以上が経過した。
むずかしそうなんだ。
最近のマイ「ラテンアメリカ文学」ブームに乗って、短篇集を読んでみることにした。
これはひじょうに好きなタイプの短篇小説集。
短篇小説は、今私が思いつきで勝手に分類すると、①独特のフレームや構造で瞬間を切り取ったもの②ある魅力的な人物の日常生活を切り抜いてそのキャラクターを見せるもの、がある。
もちろん①と②は混在し合っているので、その度合いの強さに過ぎない。
サリンジャーなんかは②かな、と思わせる。
キャラに圧倒されて、小説を批評するとっかかりがないように思われる。
この小説集はだいたいが①に属する。
知的、みたいな評価なのだろうし、場合によっては理が勝ちすぎている、と言われかねないかもしれない。

人物が描かれていない、みたいな。
だけど、私はこの小説集はとても好きだな。
たとえば『南部高速道路』。
パリへ向かう片側六車線の高速道路がとんでもない大渋滞になる。
車がまったく動かなくて、まわりの他の車の人たちと知り合いになっていく。
渋滞はなまやさしい渋滞ではない。
まったく車は動かないから、食料や水を調達するために、車が何台かでコミュニティを形成し、リーダーが現れる。
季節が夏から冬に変わり、老人はなくなり、隣の車を運転していた女の子が妊娠してしまう。
どうして救援に来ないのか、とか野暮なことは言わないが、どうして渋滞を舞台にしなければならなかったのか、と思いながら読んだ。
たとえば無人島に漂着した、などのほうがふつうのリアリティを持たせられたはず。
しかし最後にその疑問は解けた。
永遠に続くかと思われた渋滞がとつぜん解消され、車が再び走り出す。
同時にコミュニティは霧消してしまう。
そのときに寂しさみたいなものが現れる。

それを書きたかったのか、すごいなあ、と思った。

他の小説も夢と現実の行き来をリアルに描いていて、どきどきするものばかりで、とにかくコルタサルの短篇小説は私にとってのスタンダードと考えたい、と思うほどすばらしい。

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