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『現実入門』

穂村弘

この本については前からおもしろそうだなと思っていました。
なんといっても、わたしじしんが現実から逃避したままこの年までやってきてしまった、というふうにいつも思い続けていたからです。

 そう、私は経験値が低い。「家を買う」というような大きなことから「髪型を変える」ような小さなことまで、「万引」のような悪いことから「お年玉をあげる」ような良いことまで、現実内体験というものが大きく欠けているのだ。

そんな「ほむらさん」がブライダルフェスタに行ったり、競馬に行ったり、献血したりと、自ら経験したことのないことを編集者の「サクマさん」とともにチャレンジする、というのがこの本。
おもしろい。
ただし、フィクショナルなエッセイです。
ドキュメンタリーというか、ノンフィクションではないでしょうね。
もちろん「あとがきにかえて」でフィクションだよ、ということは示しているようですが、それ以前に本質的な意味で。
作歌の作法としてフィクショナルな私を立てる、というのがあるらしいし(『短歌の友人』にそんなことが書いてあった)、それをエッセイの手法としたと思います。

読んでいるほうは、こんなこと経験したことないのかよ、とちょっといい気持ちにさせるし、ほむらさん」のだめっぷりにあきれ、応援したくなる。
これはうまいなあ、と思いました。
どうも手口にまんまとのせられているような。
だから、ほんとうに経験値が低い、と思っている私にとってはなんとなく嘘っぽいぜ、と少しいらいらしたりしてしまうようなときもありました。
しかし著者はこういう方法を使わないと、大切なことをうまく語れないのだ、とも思います。
むしろ「現実入門」というお題を使ったエッセイであり、小説なのかもしれません。
だから、文体やユーモアだけでは語りきれない部分をはみ出すように端々で語っています。
たとえば、はとバスツアーの帰りの記述。

 今、何時なんだろう。十時か、十時半か。バスは進まない。気が遠くなるようなのろのろ運転である。サクマさんは静かな寝息を立てている。毎日の激務で疲れているのだろう。くびが傾き、肩に凭れてきそうで、しかし決して触れることはない。サクマさんの頭は私の顔のすぐ横で揺れている。だが、距離で二人の親密さが測れるわけではない。すぐ近くにいても人の心はわからない。
あんなに元気だったおばさんたちもいつのまにかすっかり静かになっている。隣のカップルは手を繋いで眠っている。バスガイドの声も聞こえない。このバスの中で起きているのは、運転手と私だけかもしれない。
私はうつむいて、サクマさんの手にそっと唾を落とす。

どきっとしますし、ぞっとしますね。
これってきっと「短歌」や「詩」みたいなもんですよね。

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