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『赤と黒』

スタンダール 野崎歓訳(光文社古典新訳文庫)

 

『赤と黒』はおそらく私が中学~高校で「文学」として最初に読んだ小説の一つだ。
なぜ『赤と黒』だったのかあまり覚えていないのだが、きっと学校の国語の副読本で「心理小説の最高峰」みたいなことが書いてあったからに違いない。
そういうPOP的なものに今も昔も弱いから。
古典新訳文庫で出たので数十年ぶりに読み直すことにした。
前に読んでからの期間に関係なく、いつものように、最初に読んだ際のことはすべて忘れている。
ただ、たぶん学生時代には歴史背景みたいなものはよく分からなかったし、どうでもいいと思っていたから端折って読んだと思う。
そういうことがきっと重要だということはさすがに分かっているから、丁寧に追うようにしてみる。
依然として歴史については苦手だが。
ナポレオン失脚後のフランス(と本の裏に書いてある)。
主人公のジュリヤン・ソレルはナポレオンを自分のロールモデルとしている、ということをポイントに読み進める。
心理描写については確かに最高峰だかなんだか知らないがまったくもってまわりくどい、と最初は辟易する。
家庭教師として入った家のれなール夫人を口説くにあたって、ひたすら自己正当化の論理をくどくどくどくど説明する。
めんどくさいなあ、と思うのだが、そのうち慣れてきて、ああきっとここでこんなこと考えるんだろうな、ということが分かってくる。
自分がジュリヤンにアジャストしてしまっているのだ。
第2部でパリにジュリヤンが行き、出世街道まっしぐらになるとますますおもしろくなってくる。
自分の雇い主である侯爵の娘(マチルド)をたぶらかすあたり、そうとうおもしろい(マチルドもある意味わかりやすい魅力的なキャラクターである)。
ロシア人にもらったマニュアル(手紙)どおりに、他の女に興味を持っているふりをしたり、無視したりするのは、われわれの世代でひととき言われたマニュアル男子とかぶるものがある。
しかし、ジュリヤンがレナール夫人の手紙を読んで、悲劇的に罪を犯し、死刑に向かっていく。
自ら死に突き進むように話は急展開し、語り口も変わる。
イエスが死に向かうような宗教的な雰囲気に変わっていく。
そして演劇的とも言える唐突な最後。
丸谷才一が『文学のレッスン』(新潮社)でよい小説の条件として①作中人物②文章③筋の三つの要素をあげている。
作中人物の魅力としてジュリヤンという人物はすばらしくよくできている、と今更ですが思う。
ジュリヤンは基本的にずっとキャラを変えない。

そういう意味で決して教養小説ではないと思うのだが、最後で突然変容してしまうのが変ですごい。
作者も小説中で突然顔を出したり、ポストモダンな小説でもある。
ところで『赤と黒』というとどうしても岩崎良美の歌を思い出してしまう。

というか、岩崎良美の歌があったから当時の私は『赤と黒』を手に取ったのかもしれない、とふと気づいた。

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