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『この世の王国』

アレホ・カルペンティエル(水声社)

 

同じ南米の文学として一括りにするには、ガルシア=マルケスとは少し違う。猥雑さみたいなものがあまりない分読みやすい。
ちょうど中東での革命的な事件が起きている中これを読むと、支配者が倒れていく様が二重写しになってくる。人間はやっていることはずっと変わらない。
ハイチが舞台で、史実をもとに白人支配、フランス革命の影響で黒人が支配し、そしてその圧政が倒されていく、という話を黒人奴隷だったティ・ノエルを狂言回しにして書いている。
人が鳥になったり、牛になったり、いろんなことが起きる。それが普通の話と地続きに書かれているが、そんなことがあっても良かろう、と思う。

マジックリアリズムである。
殺し合い、人を支配しようとすることを繰り返す人間の愚かさをみてきたティ・ノエルは人間になっているよりもまし、と虫にも動物にもなれる能力を持つのだが、いろいろ変身した上で、人間について肯定的な思いに至る。

 人間の偉大さは、現状をよりよいものにして行こうとする点、つまり、自分自身に義務を課していく点にある。天上の王国には、征服して手に入れるべき偉大なものが欠けている。というのも、そこでは、きちんと位階が定められ、未知のものが明らかにされ、永生が約束され、犠牲的精神など考えられず、広く安らぎと愉楽が支配しているからである。さまざまな悲しみと義務に苦しめられ、貧困にあえぎながらも気高さを保ち、逆境にあっても人を愛することのできる人間だけが、この世の王国においてこのうえなく偉大なものを、至高のものを見出すことができる。(p152)

かなりストレートな言葉だが、ここまで読んでくると説得力を感じる。
小説の時間のスピード感が私に合っていて、心地いい読書だった。
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*おそろしい話だが、2年数ヶ月前にこの本を読んだことを当時まったく忘れているようである。一つの才能といってあげたい(2018.7.6)
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