田中康夫『33年後のなんとなくクリスタル』(河出書房新社)を読んだ。
『なんとなくクリスタル』(=「もとクリ」)は、おそらく話題になってしばらくしてから図書館で借りて読んだと思う。
当時の評判としては、軽佻浮薄な小説、みたいな感じが大勢だったのではなかったか。
私は著者より少し若い世代だが、当時はこれがリアルなのだろうか、いやこういうことではないはずだ、と思っていた。
ただ、方法として、こういう「注」ばかりの小説のやり方って面白い、と思ってはいた。
この小説(=「いまクリ」)は長野県知事や国会議員を経験した、著者とよく似た語り手と、「もとクリ」に登場した女性たちとの会話が主体となっている。
「成熟した大人の社会に相応しい豊かな”おしゃべり”」(p252)を自ら小説にしたものだ。
元政治家と、女性たちとのおしゃべりには、自然に国家や政治、国際問題、老い、病気などの話題が出てきて、言葉が豊かに響き合う。
一方で、「もとクリ」から「いまクリ」へのうつろいが描かれる。
次のような文章は『枕草子』に入っていても不思議ないだろう。
「黄昏時って案外、好きよ。だって、夕焼けの名残の赤みって、どことなく夜明けの感じと似ているでしょ。たまたま西の空に広がるから、もの哀しく感じちゃうけど、時間も方角も判らないまま、ずうっと目隠しされていたのをパッと外されたら、わぁっ、東の空が明るくなってきたと思うかも知れないでしょ」(p270)
読み終えて思ったことは、AORを聴こう、ということと、注が小さくて老眼には少しつらかったこと。