中原昌也『知的生き方教室』を読んだ。
本を読みながら笑うということはほとんどない。
かつて『VOW』という本が宝島から出ていたが、それ以来だと思う。
全編面白すぎるんだが、いちばんくだらなすぎる箇所を長く引用します。
笑顔でお辞儀を繰り返すしか、私には為す術がなかった。
「いや、それにしてもお召しになっている服の色、本当にお似合いですね! お顔立ちがはっきりしていらっしゃるから、その色も映えるんですね。素晴らしく品がおありになる! とにかくエレガントなんですよね。また着てらっしゃるものの色の組み合わせが巧みですね。季節感との調和が、よく計算されていらっしゃいますね。とにかく貴女は、おいくつになってもお変わりになることはないでしょう。いつでも、とにかくはつらつとしていらっしゃる!」
そう述べると、彼女は答えた。
「いや、それほどでも……私には過分なお言葉ですよ。(恥ずかしそうに)今日はたまたまなにかの錯覚でそう見えるだけです。お褒めにあずかりまして、とても励みになります。洋服のコーディネートに関しては、まだまだ失敗する方が多いです。とにかく精進の毎日なんです。でも幸い、身体だけは丈夫な方なので、心配事は同年代の女性と比べて少ないと思います」
「フェラチオ慎太郎です」
彼女の近くにいた顔色の悪い男が、唐突に口を挟んできた。
「えっ?」
私の経験ではそんな名前の人間が、この世に存在すると思えず、思わず聞き返してしまった。
「フェラチオ慎太郎です」
「えっ?」
再び訊き返してしまった。
「フェラチオ慎太郎です」
自分が聞こえたものが、確かかどうか自信がなく、再び訊いてしまった。
「えっ?」
「フェラチオ慎太郎です」
確かに見た目からして、その名に相応しい人物がそこにいた。
思わず声に出して笑ってしまうところであったが、グッと堪えて真剣な対応を心がけるつもりだった。
「なんとおっしゃったんですか?」
だが、先ほどと同じ答えが返ってくるだけだった。
「フェラチオ慎太郎です」
もはや「はあ」としか言う言葉が見つからない。
「フェラチオ慎太郎です」
こんなに執拗に同じ名前を告げられれば、それがあたかも世の中の慎太郎という名の高名な人物の中で、もっとも偉大な人間のように思えてくるから不思議なものである。
だが、正直言って実際に出会ったとはいえ、何とも下品で、そして尾籠極まりない話で恐縮してしまうではないか。なので、この件に関しては、是非とも識者からのご批判を仰ぎたいものである。
(p278-279)
しつこく、陰湿で、ねばねばしていて、やる気もなく、誰もを馬鹿にしている。
行き着いた場所は荒涼としたどうしようもない寂しい場所。
だけど、とてつもなく爽快。
「文学界」にこんな底の抜けた文章が掲載されていたのに驚くばかり。
ブログ書いたりするとき、自分のような何でもない者が自己規制してることに腹立たしくなってきた。
人生変える一冊になるかもしれない、と書いておく。
ちて