日本のシュタイナー研究の第一人者である高橋巌さんと神学の研究者でもある佐藤優さんの対談。
しれっと「シュタイナー研究の」と書いては見たものの、シュタイナーについてまったく予備知識がありません。
シュタイナー人智学というのは霊的、神秘的、オカルト的なものの研究ということでいいのでしょうか。
ちょっと違うような気もします。
佐藤さんが勧める、高橋さんの『シュタイナー哲学入門』を読んでみたいと思います。
高橋さんのシュタイナーの話はそれほど出てこないので、私のように予備知識がなくても読むことができましたが、知識があればもっと深く読めるのだろうなあ、と少しうらめしく思いました。
対話のテーマはⅠ国家 Ⅱ資本 Ⅲ宗教の三つです。
国家の現状は暴力的な装置としての面が顕わになっている、と二人とも危惧しています。
高橋 シュタイナーは、精神生活、つまり目に見えない世界を社会の土台だと考えましたが、国家は、自分こそが社会を成り立たせている土台だと勘違いしているので、平等を保障する憲法もその他の法律も自分が管理するという建前のもと、経済生活と精神生活を支配下に置こうとしています。しかし、この状況は根本が狂っているような気がします。
佐藤 今の日本において、国家の暴力性が加速している事は間違いありません。新自由主義政策をいくつも進めて社会を弱体化させ、国家を内側から壊しているのですから。子供のうち6人に1人が貧困状態にあると言うのは、尋常な状況ではありません。それにもかかわらず政治家たちは、国家を強化していると主観的には信じています。これは世界的な現象かもしれません。アメリカでトランプ大統領が成立したこともですが、そういう流れになってしまっているのでしょう。
その上で国家ではなく、社会を強化する方向に向かうべきだと二人はいいます。
資本をテーマにした章では、高橋さんはベーシックインカムを導入すべきという考えなのに対し、佐藤さんはその考え方を認めつつも、ベーシックインカム自体はうまく行かないだろうという考え方です。
この章でおもしろいのは、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の話です。
佐藤さんはヴェーバーに対して非常に批判的です。
「ヴェーバーはキリスト教のことをよく知りません」「キリスト教に関する知識はかなりいい加減です」「ほんとうに心底から自分が書いていることに納得しているかどうかわからない」「ヴェーバーは、資本主義にカルヴァン派の発想を後知恵でつけているだけなので、神学的考証に堪えうる言説ではありません」とのこと。
昔、ヴェーバーの本を読み、その論の鮮やかさに感動したまま現在に至っており、ヴェーバーの説は当然正しいものだと思ってきました。
佐藤さんのような、キリスト教サイドからの批判は斬新でしたので、もう少し調べてみたい。
宗教をテーマにした章では、現代において「悪」の問題をどう扱うか、ということについて神学的な話がされますが、正直難しくてついて行けませんでした。
政治、経済といった見えやすい話題ばかりが問題とされ、目に見えないものはなかったことにしようとしている現代を二人は危惧しています。
そんな中、先日読んだ若松英輔さんの『霊性の哲学』もそうですが、人間同士が深い部分で連帯し合うためには精神や宗教、霊的なものについて考えることが重要である、とあらためて感じました。