『ウェブに夢見るバカ』
ニコラス・G・カー
タイトルに惹かれて手に取った本。
原題は『Utopia is Creepy』(「薄気味悪いユートピア」)だそうである。
内容は自らのブログの記事がほとんど。
アメリカ版小田嶋隆さんと言う感じか。
基本的にブログなので、気になった文章をメモしながらつまみ食いするように読んでたらメモの量がふくれあがってしまった。
カーさんはFacebookやGoogleなど「シリコンヴァレー」からの更なる「支配」に違和感を覚えている。
その違和感に説得力があるのは、カーさんがコンピュータの作法を熟知しているからだ。
わたしがテクノロジーに求めるもの、それは新たな世界ではない。求めているのは、世界を探索し楽しむための手段だ。(中略)
今や私たち全員がシリコンヴァレーに生きているのかもしれないが、それでもまだ亡命者として考え、行動することはできる。(序章『シリコンヴァレーに生きる』)
Googleの到達目標は、もはやウェブを解読することではない。私たちを解読することなのである。(『探し求める者たち』)
Googleの時代に順応することで私たちが直面する危機の一つは、誰もがGoogleのゴーグルを通して世界を見るようになるということである。『引喩の本質はグーグルではない』
私はAppleやGoogleにほとんど魂やデータを譲り渡している人間である。時代についていくため、と自分には言い訳している。
だが、新しいテクノロジーを少し警戒する姿勢が必要かもしれない。
私は効率、シンプルが絶対正義で、儀礼的なものは不要と考えていたのでこの文章は面白い。
機械のリズムに適応したとき私たちには儀礼的なことばの非効率性を受け入れる余裕があるだろうか。(中略)
回りくどい会話、直接的かつ実際的な目的がない話に耐えられない私たちは「人間が点であるかのように、直線こそが二人の人間の間の最短距離である」という捉え方をしている。『二点間の最短の会話』
日常生活で回りくどい説明するやつは許さん、とさえ思っていたが(自分自身は結局回りくどいのだが)、考えてみると優れた文学や映画は回りくどくってめんどくさいものなのかもしれない。
めんどくささをとるのか、効率をとるのか。
このハイパー資本主義社会で生きていくためにはどうすればいいんだろう。
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