松尾匡 講談社現代新書
タイトルと著者だけで読み始めたので、リベラルな経済学(そんなものがあるのかわからないけど)の話が書かれているのかな、と勝手に思い込んでいたのだが、違った。
明治以降の左翼の中での抗争史が書かれていました。
これが意外とおもしろい。
政権側の権力抗争は、新聞などの各種媒体から耳に入ってくるのである程度の知識はあります。
しかしその一方、左翼は左翼でずーっと内輪もめみたいな抗争を明治の頃から続けていたのでした。
かなりくだらないことでもめている。
時代は変わっても、争っているのはいつも二つの勢力。
松尾さんはその二つの勢力は、NHK大河ドラマ『獅子の時代』の登場人物のようである、といいます。
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(私も見ていないし、若い人も見ていないでしょうからこの比喩はかえって分かりづらい気もするのですが。)
一人は、加藤剛扮する苅谷「嘉顕(よしあき)」。
薩摩藩出身の官吏で、イギリス留学したエリートタイプ。
上から目線での改革をするタイプ。
もう一人が菅原文太扮する平沼「銑次(せんじ)」。
常に理不尽に虐げられる人々のなかにいっしょにいて、その抑圧に対して立ち上がる「地べた」タイプ。
左翼の運動はこの「嘉顕の道」と「銑次の道」がいつも争って対立していた、といいます。
明治期の「キリスト教社会主義」(嘉顕)対「アナルコ・サンジカリズム」(無政府主義+労働組合主義、銑次)。
別に思想的にはそんなに離れていたわけではないのに、行きがかり上対決した感があります。
大正期の「アナ(アナキズム 銑次)」対「ボル(ボルシェビキ 嘉顕)」。
ロシア革命があり、マルクス主義者とアナキストが対立します。
大正期から昭和期にかけてのヨーロッパ帰りの福本和夫(嘉顕)対山川「ヘタレ」均(銑次)のあいだの「福本・山川論争」。
昭和軍国主義時代に向かっていくさなかでの「労農派(銑次)」と「講座派(嘉顕)」による日本資本主義論争。
次に来る革命はブルジョワ民主主義革命なのか、社会主義革命なのか。
どっちでもいい、という気がします。
戦後も同様です。
共産党(嘉顕)対社会党左派・総評(銑次)。
ソ連・北朝鮮体制評価をめぐって共産党(嘉顕)と社会主義協会(銑次)の間のいざこざ。
これは知識人対決(?)ですが丸山眞男の戦後近代主義(嘉顕)対竹内好の文化相対主義(銑次)。
どんな組織でも同じようなことはあるのでしょうが、このように概観するとこりゃ落ちぶれる一方だよなあ、と思わざるを得ません。
同時に、自分も同じようなことをしているのではなかろうか、と感じる部分もあります。
山川均は、次のように言っているのだそうです。
意見の相違が流派として現れることを認めないならば、政党は必ず分裂する。政策や意見の相違のために、たちまち除名騒ぎが起こるような官僚主義は一掃すべきだ。我々は、異なった意見や政策が内部で争っていながら、なおかつ結束を保っていけるような団体的訓練を積まなければならない(略)
完全な一致などあり得ない。
その前提に立って「訓練を積まなければならない」。
現代の野党の人たちにも訓練を積んでもらいたいものですが、むりだろうなあ。
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