フランソワ・ラブレー 宮下志朗訳 ちくま文庫
桑野隆『バフチン』、バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化』と読んできてのラブレーだったが、実際読んだらすごかった。
もちろんこういう順序で読んでよかったとは思うが、いきなり読んでも楽しい。
物語の時系列は1『ガルガンチュア』2『パンタグリュエル』3『第三の書』4『第四の書』となっているのだが、執筆は2、1、3、4の順だそうである。
どうしようか考えたが、訳されている宮下さんが「興味深い体験になるに違いない」とおっしゃるとおり執筆順に読んでみた。
たぶんそれもよかった。
『パンタグリュエル』は展開もいいし、エピソードはお下劣の嵐。
おしっこで敵の軍勢を溺死させるわ、性欲の塊のような道化的役割パニュルジュはむちゃくちゃやるし。
というか、パニュルジュがいいんだよなあ。
村上春樹の「牛河さん」の先祖。
もちろん『ガルガンチュア』だってお下劣であることはまちがいない。
ただパニュルジュがいないのが弱いところ。
後半修道士ジャンが登場してぐっと面白くなるけど。
『第三の書』になると、1、2での物語の推進力だった戦争がなくなる。
その代わりとなるのが登場人物たちの議論、会話。
『対話篇』ぽいが、中身はパニュルジュが結婚したいんだが寝取られ男にはなりたくないし・・・というような他愛のないテーマ。
しかしそこに聖書やら古典やら当時の政治状況やらが引用されまくっていて高密度。
宮下さんの注釈も勢い多くならざるを得ない。
たまきんブラゾン(たまきんカタログ)は延々続くし。
で、話はなぜかパンタグリュエリヨン草という架空の植物の説明で終わってしまう。
『第四の書』ではパンタグリュエル一行が「聖なる酒びん」の神託を求めて大航海に出る。
奇妙の島々を訪れ、時には戦い、飲んで食べる。
当時の政治、宗教情勢に対するラブレーの怒りなどが表れていて、教会を徹底的に批判し笑いのめす。結局航海の目的は忘れ去られて、パニュルジュがうんちまみれになって話は終わる。
とにかく作者は予定調和はなく、ひたすらまじめくさったこと、決まり切ったことからずれていこうとする。
最初の二巻はまだ騎士道物語という枠組みがあったが、『第三の書』以降は物語を否定しようという力が強くなってくる。
前衛さで現代文学はこれに追いついているのだろうか、と思うほどむちゃくちゃやっている。
しかし何よりラブレーは読者のために面白く、そして読者の期待を裏切るように楽しく書いたんだろうな。
そしてバフチンがいうように中世の民衆の祝祭空間、笑いの文化をラブレーは完全に理解していたから様々なテクニックを使いこなせた。
どんなときにおいても深刻にならず、深刻になった瞬間笑い飛ばされる。
こういうのはもっと若い頃に読んでおくべきだったのだが、私はどうしても渡辺一夫の訳が苦手で読めなかったのでした。
宮下さんの訳だと、ほんとに現代小説を読んでいるみたい(ある種の現代小説の方が古くさい)。
注釈も楽しいし、とにかく読みやすい。
なお、『第五の書』も存在はするが、贋作が疑われるし、文学的には拙い作品とのことで、別巻として扱うとのことです。
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