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『いつかソウル・トレインに乗る日まで』

高橋源一郎

高橋源一郎の新刊。

全然出たことを知らなかったので、あわてて入手。
装丁はかっこいい。
帯には「著者初の、そして最後の超純愛小説。」と書いてある。
『ノルウェイの森』の帯は「100パーセントの恋愛小説」だった。
源ちゃんがふつうの純愛小説を書くわけがない。
おそらく『セカチュー』や、批判しまくっていた『失楽園』のパロディではないか。
そんな予想は覆された。
何よりも読み始めての違和感は、ふつうのリアリズムの小説だったからだ。
高橋源一郎の小説といえば「ポップ」とか「知的」というイメージ。
ところが、この小説はほんとうに「ふつうの」小説を目指そうとしているようだった。

橋本治がリアリズムの小説を書く、と決めて『蝶のゆくえ』を書いたことに影響されたのだろうか。
または全共闘世代の決算となる小説を書こうとしているのだろうか。
いろいろ考えていたけれど、途中から違和感もなくなり、くいくい読めていく。
主人公のヤマザキは、以前赴任していた韓国で恋愛関係にあったスンナミの娘であるファソンに出会う。
ファソンと出会い、恋に落ちてから小説はがらりと変わっていく。
リアリズムだったはずの小説が、少しずつ現実ではあり得ないユートピアに向けて離陸していく。
たどり着いた場所は時間もない世界。
散文の世界から詩の世界へ移ってきたようだ。
そして、まぎれもなくわたしじしんが激しい恋に落ちたときに感じ、それを失ったときに渇望しつづけた無時間の感覚と似ている。
結末は夢オチのように思えたが、たぶんそうじゃない。
ことばでどこまでユートピアを描くことができるのか。
高橋源一郎はそこに挑んだ、ということではないのだろうか。
考えすぎか。

ふつうの恋愛小説としてもすごいものだ、という気がするけど。

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