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『チャーリーとチョコレート工場』を見る

ティム・バートン監督

 

すみません。
私にはまったく合わない映画みたいでした。
結末がどうなるのか、ということだけを頼みに最後まで見たけれど、それだけ。
なぜ合わなかったのか、ということはたぶん このあいだ、ほぼ日で糸井重里と北野武の対談を読んだときのこのやりとりが説明してくれそうだ。

糸井:ほかの映画がどういうふうなのか、ぼくは知らないんだけど、その「マァ、いいか」っていうのは、たけしさんの映画独特のもんなんですか。
たけし:「マァ、いいか」っての、多いね。アバウトだから。ウン。
糸井 :あきらかにそれは北野映画の大きな特長だよね。
たけし:だから、映画でもいろいろあって、監督の頭の中で「こういう方向」って、カッチリと構図や画ができてて、プランが立ってる人は、絶対「マァ、いいか」はダメなんだけど。
糸井 :うん。「マァ、いいか」はダメですよね。

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この『チャーリーと』はまさに「カッチリと構図や画ができてて、プランが立ってる人」が作った映画で、作り手の頭の中のものが正確に表出されている映画なのかもしれない。
だけど、その場合、作り手と私がまったく折り合わなければ、それは徹底的に合わなくなってしまうのではないか。
創作の中で偶然やら、もしくはむしろ思い通りにいかない状況みたいなものがあることで、共通理解への道が開けてくるんじゃないかなあ、と思ったりした。
違和感は、つまりこの映画のすべてがあまりに清潔すぎて、猥雑だったり破綻している部分がなさすぎるのではないか、ということに尽きる。
もちろん映画なんてひとりで作るものではなく、きっといろんな苦難を乗り越えてこの映画もできているのだろうし、むしろそういうものを感じさせないのが粋ともいえる。
ただ、ふつう映画を見たとき、ひどい、とか、素晴らしいとかは思うのに、いいのかもしれないけれど私には合わない、と思った映画は珍しかったので、そんなことをいろいろ考えた。

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