荒川洋治
マイブーム荒川洋治の本だったので、とりあえず読んでみた。
日記についてはあまり興味がない。
子供のころなんども「三日坊主」でやめたから、もう書かないと決めたのだ。
ブログは続いているけれど、日記とはまた違うような気もするし。
しかし、この本を読むと日記、しかもパソコン上ではなくて、ノートにペンで書く日記が書きたくなってしまった。
「1 日記いろいろ」
武田百合子の『富士日記』も引用されている。あの本はいい。誰もが絶賛しているなあ。
「2 日記はつけるもの」
荒川洋治は大学の講義の際にできるだけ新しい話をするようにしているが、いつもそういうわけにいかない。しかし、前に来たことがある人が聴講しているときに同じ話をしないように、日記に誰が聴講したか、つけてあるそうだ。それに関連して。
ぼくは毎回、これまで話したことのない、新しい話題にしようと決めている。はじめて人にする話を「舞台」にかけるときは、つっかえたり、ことばがうまく出ないものだが、それでも最初なので、話に力があるものである。いつか話したことのある話をすると、なれているので、聴いている人には聞きやすいが、自分で話していて「つまらないなあ」と感じ、それが話を薄めてしまう。そうなることは自分にとって、つまらないことだ。人間は同じ話をしてはならないのだ。自分のために。
「3 日記のことば」
日記は自分のためにつけるもので、人に見られることを想定していないはずだが、日記の文章が一定の分量を超えたとき、それは「社会的」なものに転換し、読者を意識した文章に変わっていく(「一日の長さ」のあたり)。わかるなあ。
「4 日記からはじまる」
日記から詩や俳句やエッセイや小説に変化していくこともある。日記、つまりことばにすることで、思考もひろいところにでてゆく(「エッセイへ」のあたり)。
「5 あなたが残る日記」
日記をつけることは、自分のそばに、自分とは少しだけちがう自分がいることを感じることなのだ。ときどき、あるいはちょっとだけでも、そう感じることなのだ。その分、世界はひろくなる。一日もひろくなる。新しくなる。
この本を読んで日記を書きたくなった最大の理由は、次の箇所による。元日から始めると力が入りすぎて途中でしおれてしまうものだ、ということを受けて。
はじめてつける人は、二月十七日とか、六月二日とか、いつでもいいが、なんでこんな日からスタートするの?と思われるくらいの日でもいい。
今日が二月十七日だったので。それだけっす。
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