『日本の歴史をよみなおす』網野善彦
網野さんの本を読むのは、『日本社会の歴史』(岩波新書)に続いてです。
中沢新一さんに『僕の叔父さん 網野善彦』という本がありますが、そのとおりで、中沢さんは網野さんの甥となります(血縁関係はない)。
『日本社会の歴史』は日本通史といった観があり、勉強になりました。
その中でも特に、鎌倉時代が、東を幕府が、西を朝廷がそれぞれ分立して支配している状態だった、というのを恥ずかしながら初めて教えてもらいました。
1192かまくらばくふ、で鎌倉が全国を統一した、と思いこんでいたのです。
さて、この本は講義録ということで非常に読みやすい本になっています。
つまり、ほぼ十四世紀に南北朝の動乱という大きな変動がありますが、、それを経たあとと、それ以前の十三世紀以前の段階とでは、非常に大きなちがいがある。十五世紀以降の社会のあり方は、私たちの世代の常識で、ある程度理解が可能ですが、十三世紀以前の問題になると、どうもわれわれの常識ではおよびもつかない、かなり異質な世界がそこにはあるように思われます。(p14)
前半部分のテーマは引用したこの部分に集約されているように思えます。
そして現代の社会の成り立ちというものを考えるときに、どのように過去、歴史にアプローチすべきか、ということを網野さんは何度も言います。
例えば「非人」について。十三世紀までは非人と呼ばれる集団は「清め」を職能とした神仏に近い集団であったのが、次第に差別の対象となり、江戸時代に被差別の対象として固定されてしまった経緯を調べ、次のように説明します。
十四世紀以前の「穢れ」は、前にも触れてきましたが、ある種の畏怖、畏れをともなっていたと思いますが、十四世紀の頃、人間と自然とのかかわり方に大きな変化があり、社会がいわばより「文明化」してくる、それとともに「穢れ」に対する畏怖感はうしろに退いて、むしろ「汚穢」、きたなく、よごれたもの、忌避すべきものとする、現在の常識的な穢れに近い感覚に変わってくると思います。(p138)
このように、十四世紀以前とそのあととでは人間の認識がまるで違った可能性があるわけです。『陰陽師』では安倍晴明が式神を操っていて、あんなことはあり得なかった、と否定は簡単にできますが、そもそも世界がどう見えていたのかということを考えると、ああいう世界も日本にはあったのかも知れません。
他にも「女性」も同様に決してずっと虐げられていた立場ではなく、むしろ商工業でリーダーシップすらとっていた立場だったことを強調します。
いちばん気になったのは宗教のことでした。
鎌倉新仏教が十四世紀の社会の大きな転換の中で、力を持っていきながら、どうしておとろえてしまったのかということについて。
しかし日本の社会の場合、十六世紀に入ってきたキリスト教を含む、こうした新しい宗教は、結局十六世紀から十七世紀にかけての織田信長、豊臣秀吉、さらに江戸幕府による血みどろの大弾圧によって、独自な力を持つことができないようになってしまいます。どうしてそうなってしまうのか。じつはこれが日本の社会の問題を考える場合に、いちばん大きな問題のひとつなのだと思います。(P79)
以前『日本仏教史』という本を読んだときも、現代日本でなぜ宗教がこれだけ力を持たないのか、ということが書かれていた気がしますが、ようやく意味が少し分かってきました。
私じしんが宗教を持つということにずっと拒否してきました。
しかし非宗教であると言うこと自体がむしろ近世の支配者の宗教弾圧に根を発するものなのかも知れない、という視点で見直したときに、宗教を単に拒絶するだけでいいのかということをもう少し考えるべきではないか、と思ったのです。
本の後半では「百姓」というのは農民だけを差すのではない、単なる平民のことなのだ、ということから入っていきます。
フィールドワークによって学者も誰も疑わなかった百姓=農民という定義を覆していきます。
百姓の中には農民も漁民も、それに海運業者や塩を作っている人たちも入っているのです。
これまでの歴史研究者は百姓を農民と思いこんで史料を読んでいましたので、歴史家が世の中にて今日していた歴史像が、非常にゆがんだものになってしまっていたことは、疑いありません。これは江戸時代だけでなく中世でも同じですし、古代にさかのぼってもまったく同様です。百姓は決して農民と同じ意味ではなく、農業以外の生業を主として営む人々-非農業民を非常に数多くふくんでいることを、われわれはまず確認した上で、日本の社会をもう一度考えなおさなくてはならないと思います。(p255)
いずれにせよ、こういう日本史の先生に教わっていれば、もう少し歴史については興味を持って勉強していたのに違いない、と思うと少し悔しい思いがします。
ただ、網野さんの本についてはまだまだ読むべき本がありますので、遅まきながら勉強していきたいと思います。
また、網野さんは過去をほじくり返すのではなく、今の日本の成り立ちを照射するために歴史を勉強していかなければならない、となんども繰り返します。
常識的な目で見た現代を別の切り口で見直すためにも歴史の勉強は不可欠なように思います。
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