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「人生百年の教養」亀山郁夫 

亀山郁夫さんといえば、「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」などのドストエフスキーの小説を分かりやすい新しい訳で届けてくださる方としておなじみです。
ロシア文学の研究者であり、大学学長を歴任されている方。
「教養人」であるに決まってます。

しかし亀山さんはこういいます。

(略)本書は、「非常識人」の手になる「教養人への憧れの書」とでも名づけられるべき性質の本であり、私はこれからほとんどの局面で一種の反面教師の役を演じることになるはずです。

なぜ亀山さんは自らを「非常識人」というのか。
中学、高校とノートをとることがほとんどなく(それだけ記憶力があった、というわけではなくて、授業をやり過ごしていた)、大学でも教育を受けた、という実感がなかったそうなのです。

いっぽう、教養とは何か。

大学の一般教養的な教育によって得られる知は、あくまでも「常識的な知」に過ぎない、と亀山さんはいいます。
今や人生百年があたりまえの時代、それだけでは幸福に生きていくことはできない。

真の教養は、たんに「共通知」のカタログと化すことなく、真に人間の知と情念の一体化したものとして、「経験」されるべき何かなのです。

例えば音楽。
知っているだけではなく、知ることで喜びを得ていく。
これからの教養とはそうであるべきだ、と亀山さんは(たぶん)おっしゃっている。

この本では、亀山さんの少年時代からの経験を踏まえ、具体的に「教養」とはいったいどんなものなのか、語られていきます。

亀山さんは、自分の記憶力が並み以下だといいます。
好きなポップスの歌詞も日本史の年号も覚えられない、というのは私と全く同じなのでなぜかうれしい。

しかし、忘れるのもいいものだ、と亀山さんはいいます。
例えば夏目漱石の『こころ』を若いときに読んだとして、もうこの年になると最初に読んだ内容をほとんど忘れてしまっています。
しかし、完全に忘れているわけではなくて、少しは頭の中に残っているものなのです、と亀山さんはいう。
だから年を経て再読した際には、初読とは異なる奥行きのある世界として受け取ることができるのです、と。
もちろん、音楽だって同じです。

なんとなく、励まされる話です。

亀山さんの意外なエピソードとともに、これから私たちが必要とする「教養」とは何かについて語られていきます。

堅苦しい本かと思いきや、意外と楽しく読み進められる本でした。

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