『ギリシア神話 知れば知るほど』丹羽隆子監修
『神曲』に出てくるギリシア神話がほとんど分からなかったと言うことで手に入れた本。
ほんとに入門的な本だと思うが、あまりに多くの神様と人間が出てくるのでわけが分からなくなる。
たぶん、こういう類の本を何冊か読まないと理解はできないだろうな、と思った。
それにしてもゼウスの女好きは目に余る。
たぶん誰でも最初の感想はこれだろう。
目についた女性を手当たり次第である。
しかもどんな手を使ってもである。
地下牢に幽閉されていたダナエに会うために雨に姿を変え、屋根のすきまから忍び込んだり、アルクメネの婚約者がいない隙に、その婚約者に変身したり、やり放題。
その結果、関係者が死んだり、遠くへとばされたり、むちゃくちゃである。
嫉妬やら憎しみの連鎖やら近親相姦やら、東海テレビ制作のどろどろ昼ドラ(見たことないけど)を超えている。
しかし、まあ梗概しか読んでなくて、もっと原典に近いものに当たったら感想も変わるかも知れないが、思ったことはどろどろな関係であるにせよ、読んでいてそんなにうっとうしくない、ということだ。
倫理感の違い、というと元も子もないが、誰もがそういうことをしてしまうのはしょうがないことだ、という前提があるのだろうか。
例えば、英雄テセウスの妻と子供の話。適当に文章を拾うとこんな感じ。
アンティオペはテセウスの子ヒッポリュトスという男子を産んで死去。
テセウスは息子の養育を祖父ピッテウスに任せた。
テセウスが生まれ育った故郷トロイゼンでヒッポリュトスはすくすくと育った。
アルテミスを崇拝するヒッポリュトスは生涯独身を貫くことを誓っていた。
父に会うためヒッポリュトスはアテナイへ帰ってきた。
テセウスの後妻パイドラは継子であるヒッポリュトスに恋いこがれた。
憔悴したパイドラは乳母を経由してヒッポリュトスに気持ちを伝えた。
純真で潔癖性の青年は激怒し、「なんとおぞましく、汚らわしい女だ!」と継母をののしった。
それを聞いたパイドラは、遺書をしたためて首を吊った。
遺書には「義理の息子ヒッポリュトスに辱めを受けたため、死んでお詫びをします」と書かれていた。
偽の遺書にすっかりだまされたテセウスは聞く耳を持たず、息子に国外追放を命令。
それどころか、テセウスは海神ポセイドンに息子の死を祈った。
ヒッポリュトスは馬車でアテナイをさる途中、ポセイドンの遣わした怪物の襲撃を受けて重体。
テセウスの腕に抱かれながら最後の瞬間まで無実を訴えた。
テセウスも己の過ちを悟り、息子に詫びたが、ヒッポリュトスは父の腕の中で息を引絶えた。
パイドラも義理の息子に憔悴するまで恋することもないと思うが、そういうわけにはいかない。
だって恋しちゃったんだから。
誰が悪い、と言いきれない。
結局、人間(神様の話としても)の能力なんて卑小なものに過ぎない。
話の多くが神託や予言で大きく展開する。
神意とか運命みたいなものがある以上、俺たちはその中でやるだけやるしかないじゃないか、という、あきらめではないけど、どこか無責任なところがあって、それが風通しの良さを感じるひとつの要因かもしれない。
さて、この流れで『オデュッセイア』を読み、そして『ユリシーズ』を読む、という壮大な計画が自分の中ではあるが、いったいそんなことができるのだろうか。
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