『神曲 地獄篇』ダンテ・アリギエーリ(寿岳文章訳)
最初に海外旅行に行ったのはインドで、そこに『神曲』の岩波文庫版を持って行った。
『神曲』をインドで読む、というセンスはわれながらなかなかだと思うが、結局読めなかった。
ひとつには文章が全く読めなかった(山川丙三郎訳は格調高い文語で有名らしい)、と言うこと。
もうひとつは内容とか構造を全く把握していなかったということ。
このような大作に挑もうとするにはあまりにもひどいものです。
寿岳文章によるこの訳も文語体ながら特段難しいところはなかった。
むしろ現代の日本語より簡潔なのですいすい行ける(理解しているかどうかは別として)という利点がある。
内容把握については、まず解説をきちんと読んで以前の失敗の反省とした。
特に堀田善衛の解説が簡潔で分かりやすい。
ダンテとは単なる文学者ではなく、政治家として働いていて抗争に巻き込まれフィレンツェから追放された、ということが『神曲』には色濃く反映されていて、当時の抗争相手やら何やらが続出している、ということを前もって分かっておけば、分からないことは分からないとあきらめて読み進めることができた。
要するに、ここにはダンテの視界の及ぶ限りの、神話世界以後の全歴史と全世界が配置されているのである。されば、誰が、何処に、如何なる理由によって、位置させられているかについての、これは百科全書でもあり得るものである。(堀田善衛解説『喜劇としての『神曲』について』(p502)
で中身だが、これはおもしろい。
たぶんいろんなところで言われているとは思うのだが、これって「ドラクエ」だし、『ゲド戦記』と同じ。
まあこっちの方が700年も早いんだけど。
大枠は、ダンテが気がついたら地獄に迷い込んでいて、そこから地球奥深く地獄を突き抜けて、煉獄を通り抜け、天国に行くという話。
ガイドとして送り込まれたウェルギリウスという紀元前のローマの詩人がとても頼りになるんだが、この人に導かれて、いくつかの苦難(と言ってもほとんどウェルギリウスが片付けてくれるので、ダンテは亡霊からあんたは何者だ、という話を聞くだけ)を通り抜けていく。
何かというとダンテはすぐ気を失うし、全くもって頼りない。
出てくるエピソードは、例えば大怪獣とか大巨人とか蛇と人間の身体が入れ替わるとか、糞尿まみれにされている亡霊とか、読む前に持っていたイメージよりはるかに下世話なものが多くてしかもかなり人間くさい。
当時の政治的状況を映している部分はもう分からなくていいや、と割り切れるが、ギリシャ神話の登場人物が頻出してきたり、カエサルをはじめとする歴史的人物が出てきた場合に自分の教養の無さを思い知った。
ただ、これをすべて分かっているのは無理で、むしろ『神曲』を読み進めるうちにギリシャ神話について興味が出てきた。
ギリシャ神話はかなりひどい話ばかりが引用されている。
例えばレムノス島についての話。訳注から。
ギリシャ神話では、トアス王の治世、島の女達が女神アプロディテの祭祀を怠り女神の怒りに触れ、身体から悪臭を発するようにさせられた。島の男達はこの悪臭に耐えかね、トラキアから捉えてきた女を妻としたので、復讐に島の女達は一夜のうちに島の男を皆殺しにした。(p208)
なんか現代ってかなりソフィスティケートされている、というか、きれい事で成り立っているなあ、と思わずにいられないこの残虐性とかものすごさ。
「ドラクエ」や『ゲド戦記』よりむしろ『神曲』及びそれに含まれるギリシャ神話世界の方がある種即物的。
入っちゃうと癖になりそうな世界。
地獄巡りをしていき、最後に地獄の底=地球の中心を通り抜けると天地がひっくり返って煉獄に行く、というのが読んでてかなり気持ちいい。
堀田が『神曲』は読みづらいけど、我慢して読んでいけば至福を得られる、と言っているのがよく分かりました。
だけどやっぱりちょっと疲れた。
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