筒井康隆 新潮社
ある美術大学の近くで切り取られた女性の腕が見つかる。
その美大の近くのパン屋では、美大生のアルバイトが作った女性の腕を模したバケットが評判となる。
美大の結野教授はある日を境に、突然眼を「ふらふら」させながら初めて会う人の名前や秘密を言い当てていく。
なぜそんなことがわかるのかとの問いに、私はこの世界に遍在している、神のような存在だからだ、と答える。
結野教授はその後の裁判では「GOD」と呼ばれ、テレビにも出演することになるのだが……
腕と腕に似たパン、そしてGODである結野教授の関係は?という謎が小説を牽引しますが、途中からはGODに惹きつけられて読み進めてしまいます。
イエスが現代に現れたらこんな感じに魅力的なのかも知れません。
以下、ネタバレとなります。
この小説は佐々木敦さんの「パラフィクション」を具現化したものでもあります。
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「(略)それじゃまあ、一つだけ教えてあげようかね。わしやお前さんたちがここでこうして存在しているのもひとつの可能世界に過ぎないという証明だ。つまり、これが単に小説の中の世界だとしたらどうだい。読者にしてみればわしやお前さんたちのいるこの世界は可能世界のひとつに過ぎないだろ。お前さんたちだってわかっているじゃないか。これが小説の中の世界だってことが」
ああ、という顔で全員が不具合を感じ、身をよじらせる。あはは、と神経症的に笑う者もいた。SF評論家も顔を伏せ、小さな声で「パラフィクション」と呟く。下手の袖に立つ加藤淳也までが俯いて「それ言うたら、おしまいとちゃうんけ」と呟いている。
「逆に言えばだよ、われわれの世界から見れば、これを読んでいる読者の世界こそが可能世界のひとつだということにもなる」GODはなんだか面白がっているようでもある。しかしこのときにはすでに誰もが、ああこれでもう終わりなんだということを感じ取っているようでもあったのだ。
ずうっとGODに注目してきたところが、突然世界のピントがパンフォーカスで完全に合ってしまったような、奇妙な感覚におそわれました。
作者から読者に軸足を移したメタ小説。
パラフィクションの意味がわかった気がしました。
それを現実化してしまう筒井さんはさすがです。
最後『時をかける少女』みたいだなあ、と思っていたら、GODはこう言います。
「おやおや。なんだかこの小説家がだいぶ以前に書いた『時をかける少女』のラストみたいじゃないか。でも、そういうわけにもいかんのだよ」
まったく。
『ダンシング・ヴァニティ』に比べると、理が少し勝った印象もあります。
しかし、読みやすくて、一度読み始めたら最後まで一気に読むしかない小説です。