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『国体論 菊と星条旗』

白井聡 集英社新書

数年前、白井聡さんの『永続敗戦論』を興奮しながら読みました。
日本人が知っておくべきことを知らなすぎていたことに気づかされました。

今回のこの『国体論』では、その名のとおり「国体」(もちろん「国民体育大会」の話ではない)について論じていられているというではないですか。

白井さんはまたアンタッチャブルな領域に触れていくのでしょうか?

2022年は明治維新から154年。
戦前(明治維新から敗戦まで)と戦後(敗戦から2022年まで)がちょうど77年で等しくなります。
戦前と戦後を「国体」とその変遷という観点で見ると、ほとんど相似している、と白井さんは言います。
戦前の「国体」はもちろん天皇。
戦後の日本においては「アメリカ」が天皇に代わって国体としての役目を引き受けた、と白井さんは考えます。
その仮説を検証していく、というのが本書の主眼です。
「史劇は、二度繰り返される」のです。
柄谷行人さんが「明治=昭和平行説」を唱えていたことを思い出します。

天皇に代わってアメリカが「国体」となり、現在も温存されているという仮説はすごくおもしろいし、納得もできました。
しかし、だからどうすればいい?と少し物足りなくも思いました。

戦前の国体は「戦争」という「破局的事態」によって清算されました。
問題は、戦後の国体(=永続敗戦レジーム)の清算が「大多数の国民の自覚的な努力によって実行されるのか」、それとも「外的な力」すなわち「戦争や経済破綻といった破局的事態」によって強制されるのか、ということだ、と白井さんはいいます。

白井さんの言っていることはおおよそもっともだ、と私は思います。
しかし、白井さんの言うことには耳を貸さない人たちもいて、その人たちにこの本は届かない。
むしろそんなことはあきらめて、どこか内輪の言葉で書かれているような気さえします。
そこから「大多数の国民の自覚的な努力」が生まれるでしょうか。

加藤典洋さんの『戦後入門』は、ぐずぐずの日本を救い出す道筋を難渋しながらも指し示そうとしていた、と思います。
また、内輪の言葉ではなく、できるだけ開かれた言葉で語ろうとしていた、とも思います。
それがうまくいっているかどうかは別としても。

日本の抱える問題はよくわかりました。
白井さんにはそこから脱け出す道筋をもっともっと論じてもらいたい、と希望します。
私も、私なりに考えなくてはいけません。

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