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『疾風怒濤精神分析入門──ジャック・ラカン的生き方のススメ』

片岡一竹 誠信書房

死ぬまでに読めないだろうと思う本の話をしたことがありました。 

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そこに書き忘れたのがジャック・ラカンの『エクリ』です。
その翻訳は原書より難解だといわれているらしいです。

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ラカンについては何冊か初心者向けの本を読んでみました。
その結果わかったことは、私には理解できないということ。
「象徴界」「想像界」「現実界」という術語を覚えましたが、うまく説明ができない。
そこで出会ったのがこの本です。

著者の片岡さんは私より三十歳近くも若く、驚くほど明晰です。
文章も論理も平易で、わからなそうなところは先回りして説明してくれます。
おかげで「象徴界」も「想像界」も「現実界」も理解できたような気になってます。
自分が利口になった、と勘違いをしそうになりますが、片岡さんの頭がいいのでこれだけわかりやすく書けるのです。

そもそも、ラカンを学ぶのにもかかわらず「精神分析」についてきちんと理解ができていませんでした。
この本ではまず「精神分析」についてきちんと解説してくれます。
「精神分析」と聞くと、こういうことを想像しませんか?

皆が皆そういう人ではないにせよ、「精神分析とは理論と技法に通暁した専門家に、自らの無意識の真理を教えてもらうものである」と素朴に思う人は多いでしょう。「あなたはいつも母親を殴っていた父親に対する強いエディプス・コンプレクスを抑圧していました。その抑圧された攻撃欲動が奥さんを殴るという形で回帰したのです」といったような精神分析的な解釈を聞くことが精神分析だと一般には思われています(この解釈は滅茶苦茶な例ですが)。

しかしこうした俗説は間違いだ、と片岡さんは断言します。
では「精神分析」とは何か。

患者は分析家によって自分の思考や行為の無意識的な意味を知るのではありません。そうではなく、むしろ意味があると思っていたことが実は無意味なものでしかなかったことを自覚するのです。

「精神分析」は確かに患者の無意識を見つけ出そうとします。
しかし、無意識はそれぞれの人の「特異性」に関わるので、「一般化」された解釈では見つけることはできないでしょう。
分析家は、患者自らの無意識を現れさせるように、促したり驚かせたりさまざまな手法を使います。
「精神分析」はとても時間のかかる、根気のいる作業なのです。

ラカンは「想像界(イメージの領域)」、「象徴界(言語、〈法〉の領域)」という概念を中心に、理論化していきます。
その後、1960年代になるとラカンの関心は「現実界」に移っていきました。
それは「私たちがどう生きていくか」という切実な問題を射程に入れています。

だから重要なのは、不可能なものがあることを認めること、しかし性急にそれを求めようとせず、うまい付き合い方を見出していくことです。

ここだけ取り出してみると、宗教本や、自己啓発本に書かれていそうな文章です。
そういえば、サブタイトルは「ジャック・ラカン的生き方のススメ」でした。
ある意味、自己啓発本とはいえなくもない。
しかしそのへんの自己啓発本と違うのは、片岡さんが語るラカンの理論がとてもクリアということです。
精神分析は他の科学のように証明をする方法はないようです。
それでもラカンのいうことは理にかなっている、と思える。
先ほどの引用した文章も、その理論から帰結することなので腑に落ちるのです。

この本を読みながら、自らが精神分析を受けているような気にもなりました。
精神分析の理論は何かと役に立ちそうなので、身につけておいた方がよいかもしれません。
特に「エディプスコンプレクス」とか「ファルス」など。
巻末に「文献案内」がついているので、精神分析をもっと知りたい人にも親切です。

『エクリ』はむりでも、いつか『セミネール』が読めればなあ。

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