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『常世の花 石牟礼道子』

若松英輔 亜紀書房

若松英輔さんは、人と人をつなぐのが上手です。

「三田文学」の編集長をしていたこともあるのだから、それも当然なのかもしれないけれど。

そして私も若松さんの本を通して、いろんな人を紹介してもらってきました。

井筒俊彦、神谷美恵子、内村鑑三、山崎弁栄、鈴木大拙、柳宗悦、吉満義彦……

そして、この本ではもちろん石牟礼道子です。

本書の出版は、急遽決まった。追悼文として依頼されたものが八編になり、それらを書き分けているうちに、これまで石牟礼道子の作品を読みたいと感じながら、なかなか手が伸びない人に向かってかいている自分に気がついた。

「なかなか手の伸びない人」、すなわち私である。

石牟礼道子は今年2月に亡くなりました。

しかし、それをきっかけにすることもなく、現在も彼女の作品を何一つ読んでいないのです。

池澤夏樹さんも、石牟礼道子を畏敬しています。

池澤さん自ら編集した「世界文学全集」には日本の作家として唯一『苦海浄土』が収録されているし、そのうえ「日本文学全集」でも一巻が当てられています。

明らかに重要な作家だし、読むべき作品なのです。

それなのに『苦海浄土』をどうして読めないでいたのか。

『苦海浄土』の厚さもあるけれど、なにより水俣病を「告発する」本であろう、という先入観が読めないいちばんの理由だったと思います。

悪がはびこる世の中を告発する。

そういうジャーナリスティックで「正しい」本は必要ではあると思うけれど、読もうという気になれない。

「正しいこと」に対する疑念。

そんな私は『苦海浄土』をノンフィクションである、と思い込んでいました。

しかし世の中はこの作品を「小説」と呼び、そして石牟礼道子は「詩」であると考えていました。

(略)彼女は、この作品を「詩」であると考えていた。

比喩ではない。石牟礼さんにとって詩とは、言葉によって、言葉になり得ないものを表現しようとする試みであり、同時に、自らの心情を語ることがないまま逝かねばならなかった者たちの声を、どうにか受け止めようとする営みだった。

ノンフィクションというよりは、石牟礼道子は死者の声をすくい上げる「イタコ」のような人だったのでしょうか。

私は大いに勘違いしていたようでした。

さて、若松さんは最初に読む石牟礼道子の本としては『苦海浄土』はふさわしくないと書いています。

若松さんですら「脆弱な精神が真実を直視することができない」ために、読み終えるのにおよそ30年を要したというのです。

その代わりに『水はみどろの宮』という童話がよいのではないか、と薦めています。

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人間が海に毒を流し続けるのだが、それを「木の精」がよみがえらせていく……という話のようで、もちろん水俣病がモチーフになっているのでしょう。

ここは素直に『水はみどろの宮』からゆっくり石牟礼道子を読んでいくことにします。

そして、いつか『苦海浄土』を読めるように。

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